父の思い出・・・
今日はワタシのお父さん・・・パパの3回忌だったのでお墓参りに行ってきました^^
特に親族が集まることはなく身内だけのささやかな会でしたが・・・・
今日は少し父の事を書きたいと思います^^
父は2年前に食道癌で亡くなりました。。。
2年前の今日は朝からザァザァー雨が降っていたんだけど
生暖かくて春の到来を思わせるような日でした。
今でもその長い1日のことは鮮明に覚えています。
父の癌が判明したのはその前の年の4月
2月くらいに父の首のリンパ部分にデキモノが出来て
検査、そして再検査の結果、食道癌と診断されました。
でもその話を聞いても私達家族は
「老人の癌は進行が遅いらしいからきっとあと数年、イヤ案外あと10年くらいは大丈夫なんじゃない?」
っと笑って話してたのを思い出します。。。
でも・・・やっぱり当初思ってたより進行していたみたいで
その後の放射線治療、抗がん剤治療の成果も殆ど見られず。。。
それでも9月頃までは入退院を繰り返しながらも元気・・・に見えたんだよな。
でも父は我慢強い性格なんでたぶん回りに心配かけまいと
しんどくても口に出さなかったんだと思う。。。
ワタシは当時、時折寝る前に
「父がもうすぐいなくなってしまうかも・・・今、父に出来る限りの事をやってあげよう」と思ってはいたんだけど
なんか特別扱いしてしまうと父が今すぐにでもいなくなっちゃうような気がして
どう接して良いのかわからず。。。
母や姉ほどお見舞いにも行かなかったしあまり大層な親孝行というものも
出来なかった事が心残りです。。。
でもそれでも闘病中の父に2回ほどささやかな親孝行をする事が出来ました。
1回目は9月の終わり・・・
ワタシは前から約束していたお寿司を父と母にご馳走する機会がありました。
ほんとは給料前で苦しかったのでホントはもっと先延ばしにしたかったんだけど
「今しとかなくちゃ、この先機会を失うかもしれない」と自分に言い聞かせ・・・てf^_^;
案の定、父はものすごく喜んでくれました。
その頃はすでにかなり進行していて恐らく食べ物を飲み込むのも困難になっていたというのに・・・
父があまりにも次から次へと頼むので
「まだ食べるの?」と思わず余計な事を口走ってしまいましたが(^^ゞ
でもそれから少したって父は肺炎をこじらせ殆ど家に帰ることも出来ないくらい
衰弱していきました。
今でもあの時、思い切って二人にお寿司をご馳走出来たのは
ほんとに良かったなって思います^^
あともう一つ、これは自分では全然大した事をやったつもりはないのですが
11月の終わり頃だったかな?
その日曜日は母も姉もどうしても用事がありお見舞いに行けないとのことだったので
ワタシはじょうたろうを連れてお見舞いに行きました。
父は思いのほか元気でその日はお天気も良く暖かかったので
ワタシは父を車椅子に乗せて散歩に連れ出しました。
じょうたろうの手を引きながら車椅子の父を押すのはとても大変だったけども・・・
そしてラーメン屋さんの前を通りかかったとき
父が突然「おい、ラーメン食べよう!」と言ったのです。
ワタシは「えー、食べられるの?大丈夫?」と言いながらも
まあ、父が食べたいなら付き合おうと軽い気持ちでラーメン屋さんに入りました。
その頃は父はもう固形のものは喉を殆ど通らず流動食だったというのに
1/3くらいだけど「おいしい、おいしい」と言って食べてくれました^^
たったそれだけの事・・・
なんですが、後日、母から「パパ、あの日あなたとラーメン食べれてすっごい喜んでたよ!」と聞かされて。。。
なんでも病院側はもちろん、母も姉も父が「あれが食べたい」とか希望を言っても
きっと食べれないから・・・って普通食は全部禁止にしてたそうなんです。
普段あまりお見舞いに行かないワタシはそれを知らずに安易に
ラーメンを食べさせてしまったのだけど。。。
そんな些細な事で父が喜んでくれてワタシ自信もなんかとても嬉しかった^^
そしてその後は殆ど食べる事が出来なくなり見る見るやせ細っていった父・・・
それでも年末年始は父の強い希望で家で皆で過ごしました。
そしてそれが父が家で過ごした最後でした。。。
年が明けて病院に戻り1週間くらいしてから
父は薬の影響もあり1日中殆ど眠ってる状態になりました。
それまでワタシがお見舞いに行くといつも意識もはっきりして会話も出来ていたのに
初めてゲッソリやせこけて眠っているだけのを見て
「もうあまり長くはないかも・・・」と改めて意識させられてとてもショックを受けた覚えがあります。
時折意識が戻っても会話も殆どすることが出来ず
衰弱していく父を見るのはホントに辛かった。。。
そして。。。1/31
その日、ワタシは仕事だったので朝早く起きて準備をしていると
前の晩から付きっ切りでいた母から電話・・・
「パパの脈がね・・・、もうだいぶ弱くなってるの・・・」
「わかった、すぐ行く!」と言って電話を切った後
ワタシはその場で初めて声を出して泣き崩れました。
まだ何もわからなかったじょうたろうが「ママ、どうしたの?何で泣いてるの?」と寄ってきてくれて
じょうたろうを抱きしめながら泣いていました・・・
病院に着いてから昨晩からは付きっ切りだった姉と母に仮眠を取ってもらい
ワタシは父を見守りました。
何度も何度も父の手首の脈を確かめて
「まだ大丈夫、ちゃんと動いてるよ^^」って二人を励ましました。
子供達が何も知らず無邪気に遊んでくれていたので
病室(個室)内は暗いムードにならなかったのが救いでした。
そして夕方・・・父は意識を取り戻すこともなく家族全員に見守れながら静かに息を引き取りました。。。
享年76歳でした。。。
父の亡くなった後看護師さん達が体を清めてくれてキレイに整えてくれた姿は
まるで若がえったように素敵な紳士になっていました。
でも・・・着替えの時にチラッと見た
ゲッソリやせ細ったお腹を見て・・・・・・・・・・・・・・
父がどんなにしんどかったのかが改めて感じられて
それが一番辛かったのを覚えています。。。
食いしん坊で食べるのが大好きだったお父さんだったから。。。
でも家族全員で父を看取る事が出来たのは父にとっても
ワタシ達家族にとってもとても良かったんだなって思います。。。
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父との思い出はもちろん沢山あるんだけど今でも強烈に残っている時間があります。。。
それはワタシが独身最後ということで結婚前に母と父と3人でタイに旅行に行った時・・・
バンコクからパタヤビーチにバスで移動して
その途中の休憩所でのちょっとした時間でした。
ワタシと父は外に出て、トイレに行った母を待っていました。
その日はすんごく暑い日でアスファルトからゆらゆら陽炎が見えるような・・・
風もなく・・・真夏を感じさせる天気でした。
ベンチに座ったまま特に会話もしなかった二人ですが
ワタシは何故か自分が子供の頃の夏休みを思い出していて
とても懐かしい気分になっていました。。。
それからワタシはその時のことを特に誰にも話すことがなかったのですが
父が病気になってから、ふとその時の事を覚えてるかと父に尋ねた事があります。
そしたら父も覚えていてくれて・・・
ほんとに大した出来事でもなかったのに覚えていてくれた事がとっても嬉しかった!
きっとあの時、二人の会話はなかったけれども
心は通じ合っていたんだなって思います。。。
じょうたろうは今でも父の事を覚えていてくれて
「じぃじに会いたいな」とか「じぃじは一緒に来ないの?一人じゃ可哀想だよ」と
最近ちょくちょく言います。。。
「じぃじはお空に行っちゃったんだよ。でも今でもずっとじょうたろうの事を見てるんだよ^^」
と言ってもやはり理解は出来ないようです(当たり前ですね^^;)
でも・・・やっぱりじぃじの事はいつまでも覚えていて欲しい・・・
だっていつまでもワタシ達は大切な家族なんだもの(✿ฺ´∀`✿ฺ)
それからワタシはホントに出来の悪い子で「じぃじは最後までワタシの事を心配してた。。。」
と母は言います・・・
今でもまだまだ未熟で母にお世話になりっぱなしのワタシ(・_・;)
きっと今も空の上から心配気に見てるだろうなぁ(;^_^A
父が病気になってから行った最後の家族旅行での写真
じょうたろうはこの時まだ2歳でした^^
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今回はどうしても父の事を記録に残しておきたくて
長文を書いてしまいました。。。
時間がない中で書いたのでつたない文章で申し訳ありません。。。
また身内のことなんて聞いてもつまらない方もいらっしゃったかとは思いますが
最後まで読んで頂いた方に深く感謝いたしますm(__)m
そしてまだお母様、お父様が健在な方々!
ぜひ元気なうちに親孝行沢山してあげてくださいね(✿ฺ´∀`✿ฺ)